震災復興
GRAさんのイチゴハウスは高設ベンチを使った養液栽培。
腰の高さにイチゴがなるので、とても収穫しやすいのが特徴です。
GRAのある宮城県亘理郡山元町のそのほかのイチゴハウスもこのスタイルといいますが、以前は土に苗を植える土耕タイプだったそうです。
「この地域は太平洋沿岸ですから東日本大震災の津波で壊滅的な被害にあったんです。
ハウスが流されただけでなく、土壌は塩分濃度が高まり作物の栽培には適さなくなったんです。使っていた井戸水も海水が浸透し利用できなくなりました」
イチゴハウスを一歩出ると工事現場が延々と続いています。
「あれは何ですか?」と聞くと、“津波で流されたJR常磐線を新たに引き直しているところ” と教えてもらいました。海岸からおよそ数キロ離れているにもかかわらず、このあたり一帯が津波に飲まれてしまったそうです。
130軒近くあったイチゴ農家。その95%が津波で流されてしまい、産地は壊滅的な状態。
東京でIT企業を経営していた岩佐大輝さんが生まれ育った、地元・山元町を復興すべく震災の年に設立したのがGRAなのです。
目標は “生産性を向上させる技術を開発し、震災前を超える強い産地を作りあげる” こと。
そのビジョン実現のため。GRAさんは単独で動いているわけではありません。
ジャジャン!
実はここは復興庁と農林水産省が実施する被災地復興のための研究施設でもあるんです。
「我々はコンソーシアム(産官学共同研究)の一部なんですね。農水省の団体(野菜茶業研究所)が栽培方法を決定し我々が実施する、という形です」
研究しているのは ①大規模生産のための技術の合理化。
そして ②様々な販売形態を駆使する強い経営戦略、まで至ります。大学や種苗会社、家電メーカーなど一丸となり、国を代表する産地づくりに取り組んでいるそうです。
上田さんの説明に「へ〜!はぁ〜!」の連続。
高い理念とそれを実現化する行動力に、ただただ感服です。
またGRAの他にもイチゴ農家が立ち上がり、一帯は産地として復興し始めてきたそうです。
震災前はコンピューター会社に勤めていた上田さん。代表の岩佐さんと知り合いだったことから農業へと転身しました。
「それまでは農業は一切したことがありませんでした。え、違和感? ははは、ありません。何をするよりも、誰と仕事をするかが大切だと思っているんです。それにね、農業はできるチャンスがあればおもしろいなぁと以前から思っていたんですよ」
GRAが目指すのは10年後、1万人の雇用創出。
まだまだ続く、驚きの取り組みとは。
山元町出身・ITベンチャーの経営者だった岩佐大輝氏が、東日本大震災後に設立。
山元町産のイチゴをナショナルブランドに、そして東北を世界的な先端園芸の集積基地に育てることをミッションに掲げ躍進中。